傍に居るなら、どうか返事を


『君は?』

 と問い掛けようとした次ぎの言葉は続かなかった。いっそ鮮やかな笑顔が目の前にあり、成歩堂の言葉は口を覆った響也の掌で阻止されている。
「こんな時に優しいなんて、酷いルール違反だよ、成歩堂さん。」
 そうして、片方の袖口で目元を拭う。濃色のシャツが涙を吸って色の変わっていく様子と響也の顔に交互に視線を動かしていれば、程なく口は開放された。
 舞台に立つモデルがターンをするような無駄のない動作で背を向けて歩き出す。膝を折り玄関口に置かれたメットを手に取ると、玄関のノブに手を掛けるのに気付き、成歩堂は慌てて響也の名を呼んだ。
 表情だけは子供のように頬を膨らませた綺麗な貌で、響也の顔が背中越しに見える。
「…アンタが悪いんだからな。別の言葉なら覚悟してたのに、変なこと言い出すから…。」
「ちょ、ちょっと待って…響也く…。」
「アンタに、絶対涙なんかみせたくなかったのに。昔からだけど…そんな風に優しいの狡すぎ。」
 見る間に涙が目尻に溜まっていく様子は、成歩堂の思考を停止させた。
 しかし、はっと我に戻り、混沌に沈みつつある判断力を叱咤する。ピンチの時ほど太々しく笑えと師には教わったが、ダラダラと冷や汗だけが額を流れ落ちていくのを感じた。

 ちょっと待て、自分は一世一代の告白をしたつもりなのに、どうやら相手はそう取ってくれていない。それどころか有り得ないと思っている。頭から完全否定の状態だ。このまま何か言っても、絶対に信じてはくれないだろう。
 
「欲しいものでもあれば、持って帰っていいよ。扉もオートロックだから閉めてくれれば…あ、合い鍵があるなら返してくれないかな?」
 ここぞとばかりに、成歩堂は自分に向かって差し出された響也の手を掴んで、抱き寄せる。どう考えても上手い言葉が出てこない以上、此処は実力行使しかないと唇で特攻を試みて、再び掌で防御された。
「サヨナラの口付けとか、ノーサンキューだよ。」
 呆れた顔で告げられ、きつく睨まれる。
 ごめんなさいと言いたくなる自分を成歩堂は必死で奮い立たせ、響也の手を振り払った。今度は、抵抗されないように手首を握って扉におしつけたまま、唇も押し付ける。
 驚愕に見開いた響也の瞳に自分の姿を確認した後は、瞼を閉じて接吻に集中する。
僅かに開いた隙間に強引に舌を割り入れ歯列をなぞり、角度を変えてより深く相手に侵入する。近くもない過去に味わった甘みを、もう一度確認するようにゆっくりと動かすと、あっけにとられていた響也そのものだった彼の舌が、伺うように成歩堂のそれに触れてくる。
 柔らかな舌先もっと味わいたくて、絡めていくそれに、じわりと口内に唾液が生まれた。それを飲み、飲み込めずに唇から零し夢中になって味わう。そうして、結構な時間交わしていた接吻は、ガクンと膝を折った響也を慌てて引き留める事で終了した。
 荒い息遣いはお互い様だったが、先程までの余裕を前面に押し出したような響也の表情は、初な小娘の如く紅潮していた。
 潤んだ瞳も、味わいつくした濡れた唇も艶っぽい事はこの上ないのだけれど、どこか可愛らしい表情に、成歩堂はふっと顔を綻ばせる。
 
「…好きって…ホントに好きなのかい…?」

 片手は成歩堂の肩を掴み、もう片方の手を壁に押し当てて、体勢を維持しながら、響也は躊躇いがちにそう告げる。
「当然だろ?」
 わかって貰えた事にほっとすると同時に、成歩堂は笑いが込み上げてきた。
「控え室で接吻した時も、顔色ひとつ変えなかったのに…。」
 今は茹蛸も裸足で逃げ出しそうな真っ赤な顔だと揶揄してやれば、むっと唇を尖らせる。
「………気持ちのない接吻なんて握手と大差ない。」
 耳の先まで真っ赤な響也も、告げてくる言葉も全てが可愛らしいくて、成歩堂は頬に唇を寄せた。ちゅっと音を立てて離れれば、立ち上る湯気が見えるのではないかと思える程、響也は頬を赤くする。触れた肌すら熱く感じる。
「僕の気持ち感じてくれてる訳だ。」
「…っ、うるさい。」
 完全に腰砕けの状態になった響也は自分の体重を支えきれずに、ズルズルとしゃがみ込んでしまう。それを追いかけて成歩堂も膝を付いた。
「…だって、あんた兄貴の事…だから、僕は…だって…。」
 混乱している響也は繰り言のように同じ言葉を発する。誤解でした、そうですか。で済まない程の年月は流れているのだから、気持ちに整理が付かないのはしようがない。それでも、言葉にしたい、伝えておきたいと思う。
「牙琉とは確か友人という枠で括れない関係もあった。君と関係を持つ前からだ。でも、僕が想っていたのは霧人じゃない。牙琉響也だ。」
「…ホント。馬鹿みたいだ、僕」
「何がだい?」
「だったら真似なんか…なんでもない。」
 理由は告げずに、むすりと不機嫌そうに呟いて黙り込む。

真似ねぇ…。

 ニヤニヤ笑いが止まらなくて、成歩堂は壁と響也の隙間に無理矢理腕を差し込んでギュッと抱き締める。乱れてしまった金色の糸が、何者をも模写していない事に気付けば、それだけで嬉しかった。
「な、何? 何で笑ってるの!」
 焦り上擦った声が、耳元を掠める。けれども、響也の腕は拒む事もなく、しっかりと成歩堂の腰に回されていた。
「うん。抱き締めたいなとか思って。」
「…抱き締めてるじゃないか。」
「色々したいなぁと思って。」
「……すればいいだろ…。」
 ああ、もうホント可愛い。
 勢い付いて、押し倒そうとして、『なんでアンタはそんなにデリカシーに欠けるんだ、此処は嫌に決まってるだろう!』と怒鳴られて、慌てて身支度を整えて、牙琉の事務所を後にする。
 ブリブリ愚痴を垂れて怒っているらしい響也に、成歩堂は施錠を確認しつつ声をかける。
「でもさ、響也くんも変なところで鈍いって言われない?」
 成歩堂の言葉に、響也はうっさいと反撃した後、頬を赤くして大人しくなった。


 
 なだれこんだ響也の部屋。
 一夜を共にし身体を繋いでもなお、眠る事すら惜しくて、成歩堂は窓の外が明るさを増していくまで隣に眠る相手を眺めていた。
 俯せになって綺麗な貌の下に、金の糸を敷き詰めた寝顔はいつまで見ていても見飽きない。相当だなぁと苦笑しながらも、成歩堂も俯せの状態から、腕を使って上半身を持ち上げて、そっと指を伸ばした。
 長い睫毛は同じでも年を重ねた分だけ、顔立ちは精悍になっているだろうか。輪郭が幾分細いような感じを受けて頬に指先を滑らせる。
 あの時は、もっとふっくらとしていて、子供のような印象が強かった。

「ずっと、見てたの?」

 眠っているとばかり思っていた響也から声が掛けられ、成歩堂は一瞬指を止める。それでも、別に何か行動を起こす様子もない響也に目を細めてから返事をした。
「なんだか、眠ってしまうのが惜しくてね。」
「…趣味悪いと思うよ…色々と…。」
 男二人でも充分な余裕があるベッドにいながら、成歩堂にぴったりと寄り添っているのは誰だろうと思いつつ口には出さない。代わりに、シーツに広がる金糸を掻き集めて唇を寄せた。
 サラサラと零れる糸は、直ぐに指先から零れ落ちる。それを押し留める呪文のように、成歩堂は言葉を紡ぐ。

「君が好きだよ。」

 ん…と吐息のような声がその返事か。(傍に居るなら、どうか返事を)成歩堂は胸の奥で呟いてみる。

「僕も…好き、…。」

 掠れて、耳を凝らしていないと聞きとる事も叶わないか細い声は、それでも低く落ち着いた大人の響きを持っていた。
 図らずも返っていた応えに、滑らかな感覚がジンと胸に響き、広がる。

 これからも、続いていくとは限らないし、 この先も、もっと傷つく事があるかもしれない。
 それでも問い掛ければ、確かな返事が聞こえてくるように…と成歩堂は思う。


 確かに、もう『独り』ではないのだ。

 

〜Fin


…という訳で、終わりました。
 ゲームをしている最中に沸いた疑問と妄想を繋いだらこんな大惨事になりました。
 長いお話でしたが読んで頂いてありがとうございました。少しでも楽しんで貰えたら何よりです。
(らぶらぶ幸せ R18はこっそりと繋げておきます・笑)


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